来島村上氏が居城とした来島城跡のある来島と、小島、波止浜湾からなる景勝地。来島海峡の潮流が激しく磯に打ちつけられ、渦巻く眺めは壮観。村上海賊が生きた時代の海と島の景観が今も残る。
伊予国から燧灘をのぞむ海岸に、幾千もの松が生い茂る景勝地。日本の白砂青松100選にも選ばれている。燧灘で嵐に遭った菅原道真公が、この地に上陸した伝説が語り継がれている。
来島海峡の要に位置する来島村上氏の居城。自然の地形を活かして郭が築かれた。岩礁には、おびただしい数の柱穴が残り、多くの船が出入りした隆盛の歴史を物語る。
来島海峡に面した丘陵に築かれた村上海賊の城郭。関ケ原合戦後も、藤堂高虎が繋ぎの城として重要視したとされる。城慶寺はその城域にあり、来島村上氏ゆかりの寺と伝わる。
能島村上氏が国分山に普請したと伝わる城郭。今治城が築かれるまで、陸の拠点として機能した。
来島村上氏の家臣である、神野左馬允が守っていたと伝わる海城。1585年、小早川隆景に攻められて落城したと伝わる。小さな島の頂部には郭が形成され、全体が城として活かされている。 ※一般公開されていませんので、遠景でご見学ください。
大山祇神社の別宮として来島村上氏が修築した、格調高い切妻造、檜皮葺の拝殿。大山積神を祭神とするこの神社は、歴史の渦に巻き込まれながらも拝殿だけが焼失を免れた。
来島城の城下町として史料に登場する、大濱地区に鎮座する神社。1524年に同社が造営されたことを記した棟札には、「在来島城村上五郎四郎」と書かれており、村上氏が来島城を居城としていたことを物語っている。
能島村上氏の全盛期を統率した当主、村上武吉が光林寺に灯篭を寄進したことを示す古文書。日本最大の海賊として名を馳せた、武吉の生年が記された貴重な史料とされている。
村上海賊が芸予諸島を去った後、国分山城にかわって藤堂高虎が今治に築いた最新鋭の海城。堀には海水を引き入れ、芸予諸島に残った海の人々がこの城を舞台に活躍した。
村上海賊が史料に登場する前後の鎌倉時代末期から南北朝時代の石造文化を代表する、宝篋印塔などの石塔群が残る乃万地区。その意匠に、職人たちの南北交流の証を見ることができる。