因島村上氏が、向島の余崎城より因島に移って構えた城。因島のほぼ北端、現在の重井東港を望む小高い丘の上にある。旧状を保った郭が五段に連なり、武者走りも残っている。
周辺にある海城との連絡場所だった山城。因島村上氏が戦国大名と肩を並べるようになると、本城としての役割を果たした。青影山の山頂にあり、島のほぼ全域と周辺海域が見渡せる。
因島の南西部、長崎瀬戸の岬に因島村上氏が最初に構えた拠点である。海側の岩礁には柱の穴も残っている。航路を見張る重要な海城であり、背後の丘陵には荒神山城跡がひかえる。
因島の椋浦に今も伝わる法楽おどりは、村上海賊が戦いの勝利を祝い、戦没者の追悼を行ったことに由来するという。武者姿で跳ぶように踊る、勇壮な伝統芸能である。
因島村上氏が青木城を築いたとき、白滝山を控えの要害として観音堂を建立した。江戸時代には、柏原伝六と弟子によって700体ほどの石仏が造られ、五百羅漢として信仰されている。
美可崎城は因島の岬に築かれた海の関所であり、船隠しの入江などが今も残る。その城の武将と船で通りかかった娘との伝説を刻む石仏が、鼻の地蔵として語り継がれている。
白紫緋糸段縅腹巻、紙本著色村上新蔵人吉充像、紙本墨書因島村上家文書など。因島村上氏に伝来する貴重な資料が、因島水軍城に収蔵されている。
因島村上氏の本拠であった、因島の中庄に造営された菩提寺の裏山にある墓地。かつて分散していた一族の墓とされる宝篋印塔18基と、多くの五輪塔がここに集められている。