“日本最大の海賊” の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-
尾道市は、「海の川」とも言うべき尾道水道の恵みによって、中世から港町として栄え、尾道三山と尾道水道の間に多くの寺社や庭園、住宅が造られ、入り組んだ路地・坂道とともに中世から近代の趣を今に残す箱庭的都市です。
城主の宮地氏は尾道の海運を監視する役割を担っていた。城が攻め落とされると、因島村上氏を頼って因島へ。家老となり、尾道の海運力を海賊の交易力に生かす役割を果たした。
村上海賊が史料に登場する、南北朝時代に建立された宝篋印塔。「越智式」と呼ばれる芸予諸島から今治平野に見られるタイプで、南北交流の礎とも言える石造物。
千光寺山のふもとにある光明寺に、村上海賊の武将、島居資長が寄進した観音像。海難を防ぐ浪分観音という異名で、海とともに暮らす人々の信仰を集めている。