島々に遺る、海賊どもが夢のあと。
海城の数だけ秩序があった。
村上海賊が歴史に姿を現したのは、南北朝時代である。船を警固する小勢力から、やがて芸予諸島の全域を掌握する一大勢力へと成長した。 それを可能にしたのは、因島、能島、来島で同じ村上姓を名乗った三家の強い同族意識である。三家はそれぞれに海城を築き、因島村上氏は本州側の航路、能島村上氏は中央の最短航路、来島村上氏は四国側の航路を押さえていた。海城を要衝に置くことで、海の戦いに備えるだけでなく、海の関所として瀬戸内海の東西交通を支配したのである。