“日本最大の海賊” の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-
想像を超えるスケールで今もこの地に残る、海賊ゆかりの史跡や文化。尾道と今治をつなぐ芸予諸島を行けば、美しい多島海の景色とともに、「日本最大の海賊」と称えられた村上海賊の記憶をたどることができる。
大三島に鎮座する大山祇神社に奉納された連歌。戦国時代には連衆に村上海賊の武将の名も見える。自らの思いを詠み連ね、武運を祈った海賊たちの高い教養と文化力を知ることができる。
因島の椋浦に今も伝わる法楽おどりは、村上海賊が戦いの勝利を祝い、戦没者の追悼を行ったことに由来するという。武者姿で跳ぶように踊る、勇壮な伝統芸能である。
村上海賊が史料に登場する、南北朝時代に建立された宝篋印塔。「越智式」と呼ばれる芸予諸島から今治平野に見られるタイプで、南北交流の礎とも言える石造物。
向上寺は村上海賊とともに戦った生口水軍の生口氏が創建した寺院。室町時代の中期に建立され、瀬戸田水道と港町瀬戸田を見守るように建つ三重塔は、多島美と調和する美しい景観を生みだしている。
村上海賊が史料に登場する前、伊予大島に有力な勢力が存在していたことを示す友浦善福寺の宝篋印塔。周辺には、鎌倉時代中期の地蔵菩薩立像など、中世の文化財が多く残る。
村上海賊が史料に登場する前後の鎌倉時代末期から南北朝時代の石造文化を代表する、宝篋印塔などの石塔群が残る乃万地区。その意匠に、職人たちの南北交流の証を見ることができる。