日本遺産 村上海賊

“日本最大の海賊” の本拠地:芸予諸島
-よみがえる村上海賊
“Murakami KAIZOKU”の記憶-

2. 秩序

島々に遺る、海賊どもが夢のあと。
海城の数だけ秩序があった。

村上海賊が歴史に姿を現したのは、南北朝時代である。船を警固する小勢力から、やがて芸予諸島の全域を掌握する一大勢力へと成長した。 それを可能にしたのは、因島、能島、来島で同じ村上姓を名乗った三家の強い同族意識である。三家はそれぞれに海城を築き、因島村上氏は本州側の航路、能島村上氏は中央の最短航路、来島村上氏は四国側の航路を押さえていた。海城を要衝に置くことで、海の戦いに備えるだけでなく、海の関所として瀬戸内海の東西交通を支配したのである。

見どころ

甘崎城跡

戦国時代は来島村上氏重臣の村上吉継の居城であった。
島全体を城郭として活用した海城で、難所の鼻栗瀬戸を押さえる位置にある。
村上海賊が去った後も、近世城郭として改修された唯一の中世海城である。

武志(務司)城跡と
中渡(中途)城跡

来島海峡を押さえるため、中央と東側に築かれた能島村上氏の海城。
海峡の西側は来島村上氏の来島城が分担して海峡を支配した。
1585年、羽柴秀吉の四国平定によって明け渡された。 ※一般公開されていませんので、遠景でご見学ください。

来島城跡

来島海峡の要に位置する来島村上氏の居城。
自然の地形を活かして郭が築かれた。
岩礁には、おびただしい数の柱穴が残り、多くの船が出入りした
隆盛の歴史を物語る。

国分山城跡

能島村上氏が国分山に普請したと伝わる城郭。
今治城が築かれるまで、陸の拠点として機能した。

怪島城跡

来島村上氏の家臣である、神野左馬允が守っていたと伝わる海城。
1585年、小早川隆景に攻められて落城したと伝わる。
小さな島の頂部には郭が形成され、全体が城として活かされている。 ※一般公開されていませんので、遠景でご見学ください。

青木城跡

因島村上氏が、向島の余崎城より因島に移って構えた城。
因島のほぼ北端、現在の重井東港を望む小高い丘の上にある。
旧状を保った郭が五段に連なり、武者走りも残っている。

青陰城跡

周辺にある海城との連絡場所だった山城。
因島村上氏が戦国大名と肩を並べるようになると、
本城としての役割を果たした。
青影山の山頂にあり、島のほぼ全域と周辺海域が見渡せる。

長崎城跡

因島の南西部、長崎瀬戸の岬に因島村上氏が最初に構えた拠点である。
海側の岩礁には柱の穴も残っている。
航路を見張る重要な海城であり、背後の丘陵には荒神山城跡がひかえる。

余崎城跡

厳島の戦いで報償として得た、向島の半島に
因島村上氏の本拠として築かれた海城。
港町尾道への航路をにらむ重要な拠点だった。
郭跡や船隠しなどが今も残り、美しい景観を保っている。 ※一般公開されていませんので、遠景でご見学ください。

俵崎城跡

村上三家とともに毛利方の武将に名を連ねた、生口氏によって築かれた海城。
生口氏は当時、尾道に次ぐ港町であった瀬戸田を管理し、
芸予諸島の海の勢力として活躍した。

鳴滝山城跡

城主の宮地氏は尾道の海運を監視する役割を担っていた。
城が攻め落とされると、因島村上氏を頼って因島へ。
家老となり、尾道の海運力を海賊の交易力に生かす役割を果たした。

百島茶臼山城跡

百島にある茶臼山の山頂に、因島村上氏が築いた城。
百島は、尾道と鞆の浦のほぼ中間にあり、山陽側の航路の要となる
重要な位置を占め、城を拠点に勢力を強めた。

岡島城跡

尾道水道をのぞむ向島に築かれた城。
かつては「関の大将」と呼ばれた大海賊の居城だった。
その後、小早川隆景と手を結んだ因島村上氏により駆逐され、
村上海賊の城となった。 ※一般公開されていませんので、遠景でご見学ください。